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この条件が揃っていることが私の幸せ、という概念がある。
それは人それぞれ違うだろうし、違っていることが面白くて、話が盛り上がるコンテンツだろうとも思う。
私にとって「部屋が清潔である」ということは数ある私の幸せの中でも上位に入る条件の一つだ。
子供の頃はそんなこと、考えもしなかった。
だって私の家は汚かったから。
私は母に「片づけなさい!」と口うるさく言われて育った。
結構な頻度で、母は私が散らかすことについて怒っていたし、怒鳴ってもいた。きっと彼女にとっても私が片づけのレベルが低いことがストレスだったに違いないな、と今の私は冷静に思う。
けれども、私は片づけられなかった。
だって私は片づける方法を知らなかったから。
母は片付けろ! と言ってはいたが、自身も片づけのルールを理解せず、押し入れに押し込めば綺麗だと思ってしまうタイプだった。
こういうと、母が今流行りのキラーワード的な『毒親』なんじゃないか、と邪推する人がいそうなので、説明しておくが、母は毒親、と括れるほど邪悪な人間ではない。多くの子どもにとって、親という存在は毒にも薬にもなるもので、偶然にも今語っている『掃除』という部分においては毒っけが出てしまっただけで、彼女はサラリーマンとして勤続年数は40年を超えていて、体と心が弱く、寝込みがちであった私の父を支え、子ども二人を大学まで出した実力者である。一家の大黒柱としてはかなり尊敬できる人なのだ。
ただ、掃除や片付けの指導を子どもにするには適正がなかっただけだ。
時代が許すのであれば、彼女は家政婦やハウスクリーニングを専門業者に頼んで、管理や教育の一部を他人に委託すべき人間だった。それだけだ。
片づけや掃除を知らない人間がそれを子供に指導しなければいけないなんて、これ以上の不幸はない。
家が汚れると、母が怪獣のように火を吹きながら、怒鳴り散らかすので、子供の頃の私はその現象を『災害』と認識することしかできず、とりあえず母がいつもしているように押し入れやクローゼットに物を詰め込むことで、その時間をやり過ごした。
一定時間が経つと、母は鎮静化するので、そうしたら、詰め込んだクローゼットから遊び道具を少しずつ引き出し、また部屋を散らかしていく。そしてまた母に怒られる。
それが私にとっての片づけの全てだった。
大人になる過程で、私は暮らしについて興味を持つようになった。
世の中に出回る『素敵な暮らしを紹介する本』はそれまでの私の暮らしとは打って変わって、とても素敵なものに思えた。次第に私は、私自身もこんなふうに暮らしてみたいなという欲を持つようになった。
そこで私は初めて知ったのだ。
片づけと掃除が違うこと、物を管理できる量だけ持つことが暮らしを快適にすること、素敵なものを選んでそれに囲まれながら暮らすと幸せなこと。
暮らしの書籍たちは、それまでの無知だった私の未熟な部分を埋める教科書になって、私を『家が清潔だと嬉しい人間』に教育してくれた。
その過程を経て、私は今の私になれた気がする。
今私は実家を出て、パートナーと一緒に東京で暮らしている。
東京は少し出歩くだけで素敵なものに出会えるので、私は毎日目移りしっぱなしだ。
だからこそ、あの頃の私の学びを思い出して、管理できない量のものを買わないようにしようと思う。
子供の頃より、少しだけ成長した私は、自分の生き方を自分で選べるようになっているのだから。