停電するかもしれない。
そんなニュースを聞いた瞬間、私の脳裏に過ったのは
「じゃあ、冷凍庫に入っているアイスが溶けるかもしれない」
ということだった。
時計を見ると九時半。いつもならお風呂にも入り終わって、歯も磨いて、パソコンの前で趣味の小説を書いている時間だ。
でも今日は特別。だって停電するかもしれないんだもの。
自分を謎理論で納得させた私は、夜だというのにアイスを食べ始めた。
冷凍庫の中に収まる、数あるアイスセレクションの中から、私が選んだのは「これは溶かしたくない」という視点で選んだアイスはパルム。
包装を破り捨て、私は「ほわああ〜」と息を漏らしながら、口にアイスを放り込む。
うまい。うますぎる。
罪。まさに罪の味がする代物である。
チョコレートの甘美な味を堪能しながら、私は冷蔵庫が動かない生活に思いを馳せる。
こんな美味しいものをいつでも保管しておける冷凍庫って偉大だ。
なくちゃ困る。
でも、今日はその冷凍庫が昨日しなくなるかもしれない日。
当たり前が、当たり前じゃなくなる世界線へと、一歩足を踏み入れる日だ。
日頃、ぼんやりと暮らしていると当たり前に存在しているインフラのことなんてちっとも考えない。
蛇口をひねれば水が出る。スイッチを押せば明かりがつく。
そんな環境が生まれた時から当たり前にある現代に生まれた私は、それがない暮らしを知らない。
それは豊かさの象徴でもあるけれど、危うさも孕んだ一面を持っているかもしれない。
今日のニュースを聞いて途端に不安になってしまった。
私はきっと基本的なインフラ設備を生活から失ったら、生きていることさえ困難になるだろう。
最近、私の祖母が若かった頃に存在していた『女中さん』が出てくるお話が書きたくて、いろいろ古い文献を調べていた時期があった。
ルンバも食器洗い洗浄機も、ましてやガスコンロもない時代の暮らしは、朝から晩まで働かないと家事が全く終わらなかった。
だって火も薪からつけなければいけないんだもの。機械化されていない暮らしは手間と時間がかかる。
そうなると、家庭を守る奥さまを助けるために、年頃の若い娘さんが中流階級のご自宅に住み込みでお手伝いさんとして働きに出る文化が発展した。
調べてみると、女中さんの仕事は奥深い。
火をおこし釜で飯を炊き、針と糸で服の繕いを施し、子供の面倒まで見る。
朝早くから夜遅くまで、家のことに奔走していたと文献には書いてあった。
中には今の自己啓発本顔負けの女中心得十箇条・休憩時間はより良い女中になるために繕いごとやお勉強をしましょう、なんてもの出てきて「昔にもできる人はできる人だったんだろうなあ」なんていう、阿呆丸出しの感想をつぶやいてみたりもする。
不便な暮らしは大変だっただろうけど、反対に言えば便利なものがなくとも暮らしに対応ができたのだ。
今の私が同じ状況に立たされたら同じことができるだろうか。
いや、きっとできない。
でも、当たり前はずっと続かない。
穏やかな暮らしが続くと思っていたのに、戦争は起こるし、わたしたちが住んでいる国だって他人事じゃない。
私たちはもしかしたら、に備えてあらゆる状態に置かれた時の暮らし方を考え、訓練する必要があるのかもしれない。